真っ暗な中で

 起きては、「とーしゃん、かーしゃん」と、呼んで、
答えてあげるとまた、安心してか、寝てしまいます。
そんな子供と共に、このような非日常的な場面の中で守られていると、
心から実感し、「必ず助かる」と確信しました。多分この時、
いえ、家が崩れかけた時に心の中で、「死んでしまう」との思いがあれば
間違いなく、家族にとって「今」がなかったのでは、と思います。
 このような中、私はこんな事を思いました。
「あと1ヶ月もした頃には、近所の人と笑いながらこの事を喋っている。」と
その時の風景まで思い描き、信じて止まなかったのです。
この時は,まだ外の状況も、本当に自分の置かれた立場もわかっていませんでした。
実際には、この光景が実現するのに3ヶ月を要し、笑いながらではなく、
その後のいろんな方からの援助、応援に対して感謝の気持ちがいっぱいで、
涙に言葉を詰まらせながらと言う、一寸違った姿でした。
 話しを生き埋めの現場に戻します。
 時間がどれくらいたったのか、全然解らず、だんだん挟まれた足が
痺れてくるし、ザワザワとした外の音は、聞こえるのですが、
こちらからいくら叫ぼうと、返事すらないのです。
その内にも何度かの余震が在り、背中の天井が少しずつ余震のたびに
私の体を下に押し付け、はじめは腕立ての状態でしたが、
助けられたときには、もう胸が床に殆ど当たるくらいの空間しか
ありませんでした。
 外から、声が聞こえるたびに、大きな声で助けを求め、
拳で天井を叩き音を出したりしましたがさっぱりです。
「玄関が壊れているのなら、勝手口の方に廻れば良いのに」なんて、
思ったりしましたが、事実を知らないって、今思うと笑っちゃいます。
なぜならもう、家の形すらない瓦礫の中に私達は埋もれていたのですから。
助け出されて、近所の仲の良い友達からこんな言葉を聞いたくらいなんです
から・・「家を出てからすぐにここに来たけど、家の形がなくなってるし
もう死んじゃってると思って、泣き崩れちゃった」と、
それくらい崩れていたのです。
この後に登場する兄は、崩れた家を見て「生きているとか、死んでいるとか
よりも、ここには、誰も居ないと思った」そうです。
しかし、その時は、まだ瓦礫の中で動けず、居たのでした。
 人は、不思議なものでもう自分は、助かると信じこんでいると
このような状況の中でも、決してパニックになる事はなく、
どちらかと言えば、結構気楽に助けを待っていた様に思います。
状況は、真っ暗な中、身重の家内と、少し離れた所に2歳の子供、
殆ど体の廻りのわずかな空間だけを残して、私自身は、
少しづつ背中を天井に押されながら、外部からはこちらに、
音や声が聞こえるだけで、こちらからの声は届いていない、
続いている余震に瓦礫と化した家は、益々崩れていっている。
移り火があれば良く乾燥した木造のこの家は、一溜まりもなく、
燃えてしまい、その中に居る私たちは、・・・
これが、現実であるにも関わらず、そんな状況で、
「あー、10時半にアポイントがあったよなぁー連絡取れないし、
ところでいまなんじかなぁー」なんて、のんびりした事を
思ったりしている自分でした。つづく


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